偏差値の意味
ウィキペディアで学力偏差値を調べると「ある学力試験のある受験者が、受験者全体の中で相対的にどの程度の位置にいるかを示す値。」とあります。
相対評価のメリットは、評価する側に影響されにくく、評価しやすいというものです。受ける側は、数値目視できるので次も(は)頑張ろう!とモチベーションアップに繋がるというのもあるかもしれません。
しかし、ここ20年ほど前から学校の成績は相対評価から絶対評価となりました。それは、その時に属する集団のレベルによって自分の評価が変わってしまうという相対評価のデメリットを払拭するためです。たまたま属していた集団によって左右されるのは不公平だという意見や、そもそも学習の評価は周りと比較するものではないという考えから、中高の成績は「絶対評価」が使われるようになりました。
それでも今なお高校、大学、模試すべてにおいて偏差値が重要視されています。
ちょっとおかしくないですか?
先にも書きましたが、ある集団において相対的に自分の位置を示す値として使用され続けているこの偏差値は、集団の人数、質に大きく左右されるものです。よって、そもそも集団が異なる場合は(全部同じことってありますか?)偏差値を使って直接結果を比べることができません。学校名を検索すると必ずと言っていいほど出てくる偏差値は、だいたいこんな感じかな?で誰かが決めているだけです。偏差値は平均やばらつきを考慮して出すものではありますが、数値の意味を正しく理解していないと、1上がった下がったで一喜一憂してしまうことになります。親子の心の健康を保つためにも偏差値を過大評価するのはやめましょう。
あれ・・・?偏差値を上げる意味
そう、ですから、偏差値を上げることに意識を集中してはいけません。偏差値を上げることばかり考えていても、志望校には合格できませんよ!
あなたには個性があります。それと同じように学校にも個性があります。それなのに、偏差値は個人の個性も学校の個性も全く加味してくれていないのです。ただのその場限りの数値でしかありません。模試の偏差値を上げるための勉強は、治療に例えると対処療法であって根本治療にはなりませんから、ちょうど本番に良い結果がでるかと言われると・・・人によりますね。そしてそれはその場しのぎの勉強ですから、後々使える知識として残っているかと言われると・・・残っていませんね。。。つまり、一生懸命偏差値を上げても意味がないと断言できます。
偏差値を上げたいのはなぜですか?
偏差値の高い学校に行きたい、行かせたいのはなぜですか?偏差値の高さで人の価値は決まりません。
学校選びは、まず自分の強みを知り、その強みを生かし、伸ばせるところを選択してください。今後の人生に必要な学びが得られそうだからここに行きたい!というところを見つけたならいいじゃないですか♪そこを目指しましょう!自分の偏差値はこのくらいだから大体そのくらいのところから探そうなんて思わないでくださいね。
偏差値はそのときたまたま出てきた数値で、あなたの価値はそんな無機質な数字で左右されてよいものではありません。
ただの数字
「たまたま属していた集団によって左右されるのは不公平だという意見や、そもそも学習の評価は周りと比較するものではない」とのことから相対評価はやめたんですよね?それなのに学校ごとに偏差値を出して、学校の評価を偏差値で比較している。模試では偏差値を出してその数値で自分の位置を知ろうと比較している。集団の質や人数が違えば全然比較できなくなるので、偏差値60と言ってもあっちとこっちの60は全くの別物なのに。
それに、偏差値70の学校に行きたくて模試か何かで頑張って偏差値70取ったとしましょう。合格率90%と書いている!やったー!安心!なんてことはないですからね!当たり前ですね(笑)
元数学教員の私が断言します。偏差値は、ただの数字です。
世の中にはこういったみんなが夢中になってしまう数字のマジックが沢山あります。
そもそも、偏差値という概念は外国にはありません。そんなもので人の価値を図っているのは日本くらいではないでしょうか。日本の大学は当日点が取れて合格できればだいたい卒業できる、海外の大学は入るより卒業が難しいと言います。もう次元が全然違います。
今の日本の学校は、偏差値を上げること、入学時より偏差値を上げること、良い高校、大学(偏差値の高いところ)に行ける勉強をすることに重点が置かれすぎていて、子どもたちは学校に行く意味を見出すのが大変だなと感じてしまいます。学校側が偏差値に囚われず、様々な特色溢れる場所になれば、学校はもっと意味深い場所になるのではないかと思います。
自分の子供が高校に行かない選択をしたら、動揺してしまう親はまだ多いと思います。
でもこのままだと、世の中の色々なからくりに気付いてしまっている子どもたちの学校離れが進むでしょう。
ただ動揺し、なんとか学校へ行かそうとしたり、腫物を扱うように甘やかしてしまうと、そういう子どもたちはこの世の中の住みにくさに苦しむでしょう。
世の中が、学校が、このまま変わらなければハーメルンの笛吹のごとくみんたまが未来ある子どもたちをみんないただいちゃいますよ(本気)